過去ログ2:視覚障害クラスその1〜5
過去ログから視覚障害のクラスその1〜5まで。
2005年1月掲載。
『視覚障害クラスその1』 2005 /01/30/記
私が身障者対象のパソコンインストラクターとして仕事を始めた最初のクラスは、視覚障害のある方のクラスでした。視覚障害と一口にいっても、色々あるのだということを始めて知りました。
全く見えない全盲の方。その中でも、生まれつき全く視覚のない方と、後天的に視覚を失った全盲の方がいます。そして若干の視力のある方(弱視)。その中でも、ほとんど見えない方とぼんやりと見える方、見えないけど光は感じる方、いわゆる視野狭窄の方。そして、生まれつき視力の弱い方と後天的に視力の弱くなった方。
色々な方がいらっしゃいました。
つまり、視力が無い、又視力を失うということにも色々なパターンがあるということです。それにより対応の仕方が全く違うということを心構えなければなりませんでした。
例えば、以前は視力の有った方には具体的にモノの比喩をして「あれのような形」という風に説明しても可能なことが、全く見たことの無い方には説明しづらいということです。いかに日頃自分が(目の見える人間が)、抽象的な説明に頼っているかということを思い知りました。普段何気なく見ているものに対して、言葉で具体的に説明しろと、といわれた時、どれほどとまどうことか。 いざ講議が始まって何か説明をしなければならない時、いちいち言葉で説明しなければなりません、最初にとまどったのが、それでした。
視覚障害の方には、漠然とした、「あれ」「それ」「こっち」というような言葉は全く意味をなさないのです。晴眼者(視覚障害者に対して目の見える人間のことをそういいます)には、「そこのボタン」といっても、同時に指を指したり目で合図すれば通じます。
しかし、目の見えない方にはそれは通じません。「どの方向の」「何番目の」キー、という風に具体的に説明しなければ理解してもらえないのです。時間が倍以上かかります。
しかし、私が講議を受け持って感じたことは、全く見えない方(視力のない方)の方がなまじ視力のある方に比べて格段に覚えが早いということでした。少しでも見える方は、どうしても”見よう”とするので、つまり視力を使おうとするので他の能力への力の分散が散漫になるようです。端的にいうと、視力の全く無い方の方が代わりの他の能力を使うので、覚えが早いのです。
つまりどういうことかというと、視覚に頼らず指の感覚でキーボードのキーの位置を覚えようとする能力、感覚。それらが、視覚という余計な能力を使わないで済む分優れていて、良く発揮できるようでした。
驚いたのは、視覚障害のある方は、ものすごく勘が鋭いのです。特に、先天的に視力のない方、もしくは少なかった方はそうです。これには感嘆しまた。
私なんかよりずっと正確にキーの位置などを覚えます。最初は確かに覚えることに時間がかかりますが、一度覚えてしまえばタッチタイピングは本当に正確です。(ちなみには私は出来ません(^-^;) いわゆる「ブラインドタッチ」というものを地でいくわけです。
ただし、現在はブラインドタッチという言葉は差別用語ということで、使用してはいけないことになってます。それで今はタッチタイピングといわなければならないのですが、この方たちを見ていると、本当にブラインドタッチということの意味を実感しました。
神様は、人間からある感覚を奪った時に、変わりに発達する才能を与えるのだと思いました。
そして視覚障害のある方のもう一つの才能、特に先天的に視力の無い方の、は、素直な心でした。
他人(この場合講師)のいうことを本当に素直に聞いてくれます。受け入れてくれます。
これには本当に感心しました。私が見たところ、後天的に目が見えなくなった方、もしくは少しはご自分で何か出来ると自負している方は、素直さが少し足りないようでした(まあその方の性格にもよるのですが)。
生まれつき目が見えないということは、つまり自分では生きてくることが出来なかったので、家族や他人に助けてもらわなければ生きていけない、ということを身に染みて感じているので、他人の言葉を素直に聞くのではないかと、私は思いました。
視覚障害の方への講議はある意味難しいものの、生徒さんが素直に聞いてくれるという点ではひじょうに楽だったのではないかと思います。
そして、皆さんとても謙虚でした。
こちらの方が申し訳なく思うくらいに、謙虚なのです。もう、その辺のごう慢な健常者に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい、と思うほどです(笑) その素直さ謙虚さで視力をカバーして、例え時間は倍かかっても、健常者とほとんど変わらずインターネット、メールのやり取りなどが出来るようになっていきます。
『視覚障害クラスその2』 2005/01/30 記
視覚障害を持つ方のクラスを始めて気が付いたことは、目の見えない方の勘の鋭さ、性格の素直さなどですが、もう一つ、とても驚いたというか感心したことがあります。
ご本人にとっては当たり前のことなのかも知れないのですが、目が見えなくてもごく普通に、目の見える人間とあまり変わらず生活が出来ていたことでした。(そういうと失礼なことなのかも知れませんが)私が考えていたよりずっと日常生活が出来ていました。
そのクラスの方たちと何度か一緒に食事に行きましたが、おそばやうどんなどの麺類も普通に(もちろんお箸を使って)晴眼者と変わらず召し上がります。始めて頼むお料理などは、メニューの説明をしないと何処に何があるか判らないので食べるのに困るようですが、こちらがきちんとお皿のどの位置に何の食べ物がある、教えればきちんと食べることが出来ます。
このように、廻りの者、付き添いの者がきちんと状況の説明をすれば、ほとんど日常生活はこなせるようです。ベテラン(?)の方なら、慣れた道はお一人で歩いて来られます。バスや電車にも乗ります。(もちろん乗車券を買って)
三味線を習っている方もいらっしゃいます(何とお師匠さんもいます)。卓球(視覚障害者用のですが)などのスポーツもなさいます。
中には、目が見えないということを事前に聞いてないとウソでしょう?と思うような方もいらしゃいます。
クラスが始まる前は、一体どこまで気を使っていいのか、気を使わないで良いのかが判らず不安でしたが、私の取り越し苦労だったことが判りました。(もちろん晴眼者が気をつけるべきことはあります)
当然、目が見える方の方が見えない方よりはるかに出来ることは多いです。
しかし、元々認識しないことに対して不自由を感じないように、視覚障害者は見えない、ということに対して(私の目から見て)大したコンプレックスは持っていないように感じました。皆さん、とにかく明るい。
もちろん、その人の性格でインキな方もいらっしゃいますが、私が思い描いていたイメージとは全く違い、楽しい雰囲気のクラスになります。
余談ですが、クラスで隅田川の花見に行こう、という話が出た時、ある御婦人から(もちろん目は見えない)「隅田川の花見なんて人を見に行くようなものだ、止めた方が良い」といわれました。思わず笑ってしまいましたが。
たぶん、視覚障害のある方のご両親はさぞや子育てで苦労なされたろうと思います。自分だったらどうだろう?と考えますが、ここまで立派に子供を自立(自分で何でも出来る)させることが出来るだろうか?育てられるだろうか?と思いました。
昨今の親御さんは、何か勘違いして子育てをしているような方が多く見受けられますが、子供をきちんと社会に適応できるように育てるための基本的なこと、自立するということを、障害を持つ子供さんを育てた両親をちょっと見習うといいんじゃなかと思ったりもします。
自分で出来ることは自分でする。
そういうごく当たり前のことすら出来ない子供もいます。
いい大人になっても、奥さんに毎朝ハンカチやら鞄やら用意してもらわないと出かけられない男性、それでお金さえ稼いでくれば偉いんだと育てられた大時代的な日本の遺物のような人間は、もし最悪、自分が病気や事故などで目が見えなくなったらどうするんだろう?とか他人事ながら考えてしまいます。
例えば、少しずつ視力が落ちて行った場合は、ある程度覚悟を決める時間があるかも知れないのですが、いきなりそうなった場合、自立心の無い方はかなり苦労されるだろうと思います。
そのクラスの中にも何人かはそれまでは全く障害が無かったのに、年齢や病気などに伴って視力が落ちて来た、という方がいらっしゃいました。 そういう方はやはりパソコンの習得に苦労なさいます。
その時に習得の速度を決めるのは、やはりその方の性格と自律性の問題だと思います。
現在、会社のお偉いさんでもIT時代に付いて行けずパソコンも使いこなせない、しかし若い社員やインストラクターに頭を下げるのは嫌だ、という方の話を聞きますが、まさにそういうことだろうと思います。
そして意欲。
もう一つ私が感心したことは、晴眼者や健常者でも年齢を経るとどうしてもパソコンなど新しいことに対して腰が引けたり覚えが悪くなってしまいます。それが、視力がない、50代60代の方が積極的にパソコンを習おう、と自ら学びに来る姿勢です。
それさえあればどんなに難しくてもきっと習得することは可能になるでしょう。
又、皆さん幸いというか、視力は無くても他の身体的(及び知的)不自由がないので、例えば指の機能などはきちんと動くし、聴力もあるし、言葉も不自由なく喋ることが出来るので、少し経つとこれは上手くいくだろう、と確信しました。
ところでその視覚障害のある方のクラスの特徴は、「うるさい」ということでした(笑)
とにかく言葉でコミュニケーションを取るしかないので、皆さんよく喋ります。最初、慣れないうちは大変でしたが、慣れてくるとこちらも聖徳大使じゃないけど、一クラス4名の生徒さん全員の話していることが同時に聞き取れるようになって来ました。
(後で聴覚障害の方のクラスにも関わることになりますが、そのクラスの静かなことに又びっくりします)
やはり何ごとも慣れなのだなあ、と思います。 視覚障害者が自分でお茶を入れたりすることが出来るようになるのも、きっと何度も何度も練習して慣れていくのだろうなあと思いました。
パソコンも、結局はそういうことだと思うのです。
『視覚障害クラスその3』 2005/01/30 記
さて肝心の授業の方ですが、視覚障害者に対するパソコン教室というのは、結構あちらこちらで開催されていて、点字図書館のようなお役所や、一般の企業、またIBMのような大企業では自社製品の習得をした方を派遣する、という形で行ってます。
私も、実際始める前はどこかで講習を受けたり、教室を見学させていただこうかと考えていたのですが、結局時間的な都合が着かなかったり、研修費用などの問題があり(IBMさんは5万円以上かかった)受けることをせず臨みました。
もしかしたらそれは無謀なことだったのかも知れませんが、不思議とそういうことに関する不安はなかったのです。(いや少しはありましたが)私が不安だったのは、やはり慣れないwindowsマシンの操作と、Office系ソフトの習得でした。(実際後日Office系ソフトの講習は他の派遣会社に受けに行くことになります)
では、視覚障害のクラスではどういう風に授業を進めたかというと、視覚障害者用のタイピング練習ソフトを使って指導して行きました。
そういうタイプのソフトも色々ありますが、この教室で使用したソフトは「ウチコミくん」というものです。一般のパソコン初心者でも使えるような使い易いものです。
まず、視覚障害のある方がパソコンを使おうとした場合、必要になるものは音声が扱えるパソコンと、音声を出すためのソフトです。それは音声読み上げソフトと呼ばれるものですが、それも幾つか種類が出ています。優秀なものはやはりそれなりに金額が張る(8万円くらい)ので、最初は練習用として音声読み上げソフトと視覚障害者用ブラウザソフト及びメールソフトが組み合わさったIBMの「ホームページリーダー」という廉価なソフトを教室では使用しました。
それと、教室では各マシンに一つずつイヤフォンを付けます。基本的に、自宅でパソコンを使用するとすると、視覚障害者の方はプリンターはいらないのですが(欲しい方は別として)スキャナーは新聞や雑誌の記事をスキャンして読み上げさせることが出来るので、あった方がいいかも知れません。(性能は定かではありません)
パソコン本体ですが、これは場所や設置の簡単さからノートパソコンの方が良いでしょう。現在売られているノーパソは、ずいぶん性能がアップしているのでCPUやハードディスクの容量なども大きく、音声読み上げ装置を組み込んでも問題はないと思います。
ただし、ノートパソコンだとキーボードのホームポジションの位置(FとJのキー)に付いている印が判りづらいので教室では一般のキーボードを別付けにして使用しました。
やはり合計するとどうしても金額的には(安くて)14〜5万円するのですが、パソコンの習得を考えると教室で学ぶだけではなく家庭でもあった方が早く覚えることができます(これは健常者の方に対してもいえます)。ちなみに、その教室では一クラス4名の単位で運営しています。それにメインの講師一名と補助の講師一名。あとボランティアの方一名に付いていただき授業を行いました。(このボランティアは、例えば視覚障害者のクラスだと点字の打てる方、聴覚障害者のクラスだと手話の扱える方という風になります)
さて、講習の進め方です。 最初は「ウチコミくん」というソフトの項目にそってタイピングの練習をしていただきます。これは、単にキーボードのキーの位置を覚えることと、簡単な文字入力をするための練習用のソフトですが、他のタイピングソフトは目で見て使用するように作られているものが多いのですが、これは全て言葉の説明が入るので視覚障害者には便利なソフトです。
他にも色々一般用のタイピングソフトは各社出ていますが、たぶん、晴眼者でも全くの初心者であれば使い心地の良いソフトだと思います。そのソフトでキーボードのキーの位置を完全に覚えるまで練習していただきます。それに1回2時間の授業で約5回費やしました。
1回2時間といっても、2週間に1回、1週置きの日程になるので、一旦覚えても次回には忘れてたりで再度同じことの繰り返し、ということもあったのですが、根気よく何度も繰り返すことで段々に覚えていきます。
その点でも、繰り返し練習する根気強さが必要になって来ますが、それも一種の才能だと思います。
そのソフトの練習を行っている間は、各自イヤフォンを聞きながらの練習になります。 そして、そのソフトが終了し、キーボードの位置を完全に覚えていただいたら、そこから私(講師)の実際の授業に入ります。
キーボードには、アルファベットのキーだけでなく機能キーと呼ばれるキーが幾つかあります。いわゆるショートカットキーとして使うキーです。ALTとかOPTIONとかSIFTとかのキーですね。その他にも、(macにはない)BACKSPACEキーだとか、DELETEキー、ESC(エスケープ)、END、HOME等々。 そして晴眼者ではあまり使わないかも知れないWINDOWSキーやメニューキーなども。
それらの機能キーを駆使してソフトにメニューを実行させて操作をしていきます。 そのためにはその機能キーの位置と機能を又完全に覚える必要があります。
それは、タッチタイピングソフトでは説明がないので講師自身が読み上げて行き、説明し、覚えていくようにしました。正直いって、私自身、え?このキーってそういうものだったの?というもの多くありました(笑)私自身が大変勉強になりました。
ところでMacintoshでは、ショートカットキーというのは大変良く使われていて、WindowsがDOSと呼ばれていた昔からふつーに使われているものです。
それに対する抵抗はなかったのですが、それに使用するコマンドというキーの位置が、macでは使い易いようにスペースキーの左横の位置にあります。そのキーを左手の親指で押さえ基点にして、後の指で他のキーを押してショートカットを機能させるという仕組みになってます。
つまり、親指を基点とすることで扇型に指が動くのでとてもやり易いんです。
が、WINDOWSの場合、左端のオルトキーやオプションキーを基点とするため、どうしても左手(もしくは右手)の小指で押さえなければならないので、ひじょーにやりづらい。一つのキーだけで動作するショートカット(DELETEなど)はいいんだけど、二つ以上になるとこれは面倒ですね。
例えば、ソフトを終了させる時、大体のソフトはALTキープラスF4のキーを使用します。
二つのキーの場合だと、片手でALTキーを押しながら片手でF4キーを押す、という風にすれば良いのですが、ソフトの切り替えなどでALTプラスOPTINOプラスファンクションキーなどという使い方をする時があるのですが、見ていると皆さんどちらかの手の親指と人差し指でALTプラスOPTINOキーを押し、空いた方の手でファンクションキーを押しています。
ということはやはり人間親指の方が小指より使い易いというか、使おうという気持ちが働くようです。
マウスの使える健常者は、メニューからマウス操作で選んだり右ボタンで操作すれば済むことも多いので、いちいちショートカットキーを使わないで済むことも多いかも知れませんが、その点でいえば視覚障害者に対してはキーボードの配置は不自由かも知れないと思います。やっぱりこれも慣れかな。
そういう機能キーの説明に於いても、何度も何度も繰り返し説明して納得できるまで講習を続けます。逆にいうと、先々週話したことだからといって同じことを聞かれてもこちらも根気よく答える必要があります。先々週話したことだからといって、覚えていられる訳がない、という風に構えていた方が楽です(笑)
ここでの禁句は(まあどのクラスでもそうなのですが)「前にもいったでしょ?」ということ。自分の子供に対してはしょっちゅういいますが(爆)つい感情的になると、一度いったことをどうして覚えてくれてないの?という風に思いがちですが、いわれた方は大変傷付きます。
いうとしたら「以前にも説明したかも知れませんが」と一歩下がって冷静に優しく繰り返すこと。
『視覚障害クラスその4』2005/01/30 記
キーボードのキーの位置を全部覚え、機能キーの意味を全て把握していただいたら実際のパソコンの活用の仕方を覚えていきます。
視覚障害以外の他のクラスだと、一クール5回で文字入力からインターネット、簡単なWORDでの文書作成まで終わるのですが、このクラスはこの時点で、やっと5回目に入ります。つまり、5回、計10時間ほどをかけてキーボードのキーの位置を覚えるために費やします。
もちろん完璧ではありません。また、他の視覚障害者向け教室では、それほど時間をかけないようです。
しかし、これくらい時間をかけてゆっくりほぼ完全にキーの位置を覚えていただいた方がその後の講議が楽だと思いました(講師生徒双方にとって)。 単純に考えても、晴眼者の5倍の時間がかかっています。が、キーの位置やホームポジションを確実に覚える、という点では遥かに晴眼者よりも優秀でした。そこまで来たら目の見える一般の方と同じように、まず文字入力の練習から始めます。
デスクトップのアイコンは見えないので、ソフト(アプリケーション)を立ち上げる時には全てスタートメニューから入っていきます。(スタートメニューは、「windowsキー」です)スタートメニューからメモ帳を開き、文字入力の練習をします。
ここで、もう一つ、ローマ字入力の問題があります。現在、パソコンをお使いの方は大部分がローマ字入力で日本語を入力していると思います。(中にはカナ入力の方もいらっしゃるでしょうけど)その教室ではローマ字入力を推奨しています。
ところがお年を召した方には、ローマ字入力を習って来ていない方もたまにいらっしゃいます。もしくは、昔ワープロでカナ入力をしてきたとか。
そういう方には、まずローマ字入力の説明からしなくてはならないので又一手間かかるのですが、幸いこの視覚障害のクラスの生徒さんにはそういう方はいらっしゃらないので助かりました。 ただし、又新たな問題が出て来ます。 点字です。 (ちなみに私は点字はさっぱり判りません)
先天的に視力のない方、早くから視力を無くした方は盲学校で点字で教育を受けて来ていらっしゃいます。
そういう方はひらがな、カタカナ、漢字など、また英語もそうですが、文字自体を見たことが無いので知らない訳です。記号などもそうですね。
そういう方は、普通にひらがなやカタカナを入力する分にはあまり関係ないのですが、漢字変換した時や、記号の入力などを行う時にこういう字だと説明してもピンと来ないのです。
例えばクエスチョンマーク(正確には疑問符)といっても、どういう形の文字なのか全く判りません。
もちろん、点字にはそれを充てる字があるので、点字のみで読み書きする分には全然構わないわけですが、今後晴眼者とメールのやり取りを始めるとしたらある程度正確な文字を入力しなくてはなりません。正確な文字を入力しないと、パソコンの方で正確な漢字変換をしてくれません。
視覚障害者通しでメールのやり取りをする時には、極端な話、ひらがなだけの入力でも構いません。 その方が却ってパソコンの方も素直に読み上げてくれたりします。
しかしそれでは意味がないし、実際晴眼者の知り合い、友人なども皆さんいらっしゃる訳ですからそういう訳にもいかないと思います。
なので、正確な漢字の読み、又記号の意味、使い方、漠然としていても形など、文字全体に対して理解していただくための必要も出て来ました。
例えば、こういう単語に使う漢字はこの字で、別の意味になる単語ではこの漢字、という風に漢字の使い分けをしますが、その正しい字を理解する必要が出て来ます。そういう時点から教える必要も出て来ました。
視覚障害者とメールのやり取りをした場合、時々とんでもない漢字変換をされた文字で書かれている文章を見ることがあります。いいたいことの意味は判るので、大して問題ではないのですが、それが相手が視覚障害者だと判るから許されることなのであって、全く知らない相手が受取ったらとまどってしまうことでしょう。
自信のない文字は、漢字変換をせずかなのまま送るのが無難なところかも知れません。
音声読み上げソフトというのが、まだ今の処技術的に難がありまして、読み上げる声(音)がパソコンの電子音なので非情に聞き取りづらいのです。
漢字変換の時にも、変換候補の文字が幾つかある場合、一応それらを全て読み上げるのですが、何と発音しているのか聞き取りづらいのです。いくら聴覚が発達している視覚障害者の方でも、これはきついだろうなと思う部分があります。
この辺、もう少しIBMさんなどにも頑張って欲しいところ。
特に、パソコン教室のように複数の人間がいて、わさわさしている場所ではとても聞きづらいと思います。 教室では、講師やボランティアの方がついていて、不明な部分は教えてあげることも出来るのですが、自宅で一人きりだとやはり判らない部分が多いようで困ることも多くあるようです。
最初に、目の見えない方でも晴眼者と何ら変わらずパソコンを扱える、という風に書きましたが、いざ何かトラブルが起きた時には非情に難しいようです。
私などでも、視覚障害者用の音声読み上げ装置をインストールした時に、後で問題点が出て来た時にとても迷いました。
ソフトの販売元にアクセスして、サポートのページを見て原因を突き止めて、あげくそれがコンパネなどに操作の必要が出て来たりしたら、これはもうお手上げです。(大体、視覚障害者用のソフトにそういう対応の仕方をさせること自体おかしいのですが)
目の見える人間でさえ、そういうことでとまどい解決するのに時間がかかるのに、視覚障害者の方だけでは全く解決できないだろうなと思いました。(そういう時のために、あちこちの地域にパソコンボランティアのグループが存在しています)
視覚障害のある方に対して、パソコンの導入からサポートまでを有料でやってくれる企業もあるのですが、概して値段が高かったりします。(パソコン一式を法外な値段で売り付けている会社もあるようです)
一番良いのは(まあ健常者に対してもいえるのですが)、知り合いにパソコンを使っている方がいればその方にお願いするということでしょう。別に、その方が専門家である必要はありません。ごく普通にインターネットを扱い、メールのやり取りが出来る程度で構わないのです。
とにかく、コンパネがどこかとか、OSの細部を目で確認してもらえることができれば良い訳ですから。まず、フォルダーや階層の概念を理解するのに、目で見ないと判らない部分が大きいので、この辺りになると誰かの手を借りないと大変だと思います。
そういうことも慣れて来たら、時間がかかっても自分で出来るようになってくると思います。が、やはりそれまではボランティアなり他人の手助けを借りるのは必要だろうと思います
そうして、何も問題なく文字入力が出来るようになったらメールのやり取りの講習に入ります。
『視覚障害クラスその5』2005/01/31 記
まだ文字入力は完璧ではないにせよ、やっと何とかインターネットへ進みます。
この時点で2クール、10週目くらいです。1週間置きのクラスで、又自宅にパソコンを所有していない方がほとんどだったので、授業の度に前回の復習から入ります。
そのため、前半は前回の復習(タッチタイピングの練習)や説明の繰り返しで、後半の時間で新しい説明、という風な授業になるのでどうしても時間がかかっていまします。(これが、連日の授業なら又違ってきますが)
インターネットの授業に入ると、一般の方もそうですが、まずインターネットというものの仕組みの説明からしなくてはなりません。
幸い、皆さん電話は良く使っていらっしゃるので、電話の替わりにメールを送ることの便利さと気軽さを説明すれば理解していただけたようでした。複雑なネットの仕組みなどは、晴眼者でも初心者は中々理解するのが難しいのですが、それも言葉の説明だけで行わなければなりません。
晴眼者だと、図を描いたり、本を読んでいただくなりして目で見て理解させることが出来るのが、ここでは出来ません。根気よく、納得してもらうまで何度も繰り返し説明します。ネットの必要性、便利さ、楽しさなども。
いくらパソコンがあって使い方を覚えても、使う必要性や楽しみがなければ全く無駄です。 通常、パソコンを覚えるのに一番手っ取り早いのは、仕事で使う必要が出て来た時です。
使わざるを得ない状況に追い込まれたら誰でも必死で覚えるでしょう。しかし、仕事で必要がなければ覚えないというのでは、せっかくパソコン教室に通い、時間を費やす意味がありません。
パソコンは便利なのです。
便利な機械です。せっかく世の中にそういう優秀な機械があるのなら、同じ時代に生きているのなら、享受しなくては損です。それは、健常者も身障者も同じです。等しく享受できる立場です。
いや、どちらかというと、五体満足で何ら身体障害のない人間よりも、身障者のような不自由な立場の方にこそこういう便利な機械は活用されて良いものだと思います。
そのためには、最初は少し苦労しても一時の苦労ですので、その後の便利さ楽しさを享受するためにも頑張って使い方を習得しましょう。ということを、強く訴えて授業を進めました。
その甲斐あってか、皆さんよく理解し、一生懸命着いて来て下さいました。
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