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2013.04.16

再びの場所

人の縁というものはつくづくどうなるか判りません。


ーーーーーーー
若い頃は嫌いな人が多くて、こいつとは絶対付き合うもんか!とか思うヒトも多かった。
しかし、家の中とかご近所とか子どもの学校関係とか、どうしても付き合わざるを得ない人の中にそういうヒトがいるとそういう訳にも行かず、しょうがなく本心を隠して何とか上手く付き合うようにしたけど、本音ではものすごくストレスが溜っていたのだ。


けれど年と共にそういうストレスも上手く扱えるようになって、「絶対付き合うもんか」と思うような激しい感情も少なくなって来ました。
こういうのを年の功というんだろうか?


そして年と共に思うようになったことは、人間いつどこでどう関わってくるか判らない、ということ。


もしかしたら大嫌いなヒトに世話になることがあるかも知れない。
もしかしたらケンカしたヒトに何かで助けられることあるかも知れない。


若い頃はそういう想像力が働かなくて、どうせこの場限りの付き合いだから横柄な態度を取ってもいいとか、つんけんした態度を取っても良いというような傲慢な態度を取っていたような気がする。


人間、いつ立場が変るか判らない。
だからいつもどの人に対しても公平に穏やかに親切に対応しておいた方が良いのだ。
そして人間いつ死ぬか判らないから、いつでもヒトに対していつどちらかがいなくなって、永遠に会えないことになっても後悔しないように接していたいと、誰に対してもそう思うようになって来ていた。


つい最近も、以前にバイトしていたお店の同僚がもう10年ほど前に亡くなっていたことを聞かされた。
まさかあの人が?と思うような人だった。
そういう話は山ほどある。


今現在、もう二度と永遠に会えなくなっても後悔しないか、と考えてそれは嫌だと思うヒトがいる。
しかし現実的にはではどうすれば良いかという、明確な答えが見つからない。
たぶんしばらくはもんもんとしているかも知れない。
または時間か、誰か第三者が助けてくれるかも知れない。
、、、、と願っているのだけど、手遅れにならなければ良いと思おう。

ところで、タイトルの件ですが、またこういう所で唄える事が出来たという話。


最初にそのお店に行った時にはそんなこと想像すらしなかった。
以前にもそういう話を載せましたが、再び同じようなことが起きました。
以前に書いた日記です。


6年半くらい前の話。

その時に行った川崎のお店に行ってきました。
「ゆんたく」という、沖縄出身の方がやっている沖縄料理家さんです。


以前行った時は沖縄料理家さんではなく、小さい沖縄土産家にカウンターだけの食事をする場所のあるお店でした。
その時も感じの良いお店だなと思っていて、またいつか来たいなと思っていたのだけど中なか機会が無く、最近になって良く沖縄ライブをやっているのが判りました。

そして、私がファンの、沖縄本部町出身の新里学という民謡歌手もそこでライブしているのを知り、14日の日に行って来ました。


Yuntaku1304142

久し振りに来たお店は、綺麗な感じの良い沖縄料理家さんになっていて、失礼ながら潰れてしまってるんじゃないかと思ってた勝手な思いとは逆に繁盛しているようで、なんだかすごく嬉しくなってしまいました。


Yuntaku1304141

なんていうか、近所のお子さんがいつの間にか知らない内に立派に成長していた感じ?

右が店長さんです↓


Yuntaku1304143

その日は日曜日でお客様も少なかったのだけど、アットフォームな感じでゆっくり聴けたので良かったと思ってました。
しかし、ライブが終った後、お客様の中で沖縄出身だという女性と話しているうちに、以前ニアミスしてた方だというのが判り、お互いびっくり。
彼女は私と知らずずっと会いたかったのだという。


その人と話してると、他の人が自分のことを意外な感じで見ていたこと、話していた事を知り、こっちの方がすごく意外でした。


最近、唄の事でも他人の評価というのが自分自身では気付かない、意外な評価をされることが多かったのだけど、あの人がそういう風に自分のことを他の人に対していってくれていたのか、とびっくりするようなことを聞いた。
(もちろん良い評価だから言ってくれたので、悪い評価も裏では沢山あるんだろうなということは認識しているつもり。)


その日は偶然の出会いで嬉しくて、初対面なのに和気あいあいと駅までご一緒して帰りましたが、もう一つもしかしたらその彼女が知っている方と繋がっているかも知れないという事で、もしそうなら本当に人の縁ってどうなっているか判らない、不思議な繋がりです。

元々沖縄の人間関係は狭くて、どこでどう繋がっていくか判らないのでうっかりしたこたをいったりしたり出来ないなというのは頭にあったのだけど、民謡をやるようになって増々そういうことが増えてきて、なるべくなら良い風に、良い評判が立つように行動したいもんだとつくづく思ってしまった。

そしてお店で、新里学のライブに飛び入りで一緒に唄わせてもらったのだけど、まさか6年半前にはここで唄うことになるとは思ってなかった。
という、またまたそういう思いを抱いて不思議な感覚に陥る出来事でした。


いつも思うのだけど、そういう時って不思議とそんなに深い感情は起きて来ないのがまた不思議なのです。
ものすごく嬉しくて感動した、という感じにはならないというか。
何か必然的な感じすら感じる。

例えば六本木の島唄楽園にしろ、鶴見の沖鶴会館にしろその時の「ゆんたく」さんにしろ、自分がものすごく願ってそこで唄えるようになったのならとても感慨深いものがあるのかも知れない。

しかし今のところそうではなく、棚ぼたみたいに唄うチャンスが来てるのであまり感慨を感じないのかも知れないと思った。


だからこれまでにも何気なく訪れていた所で唄や演奏をする機会が出て来るかも知れないと思うし、これからもそういうことが起きる可能性がある。
いつでもどこでもその時をないがしろにせず、縁を大切にしたいなと思う。


二度と会えないと思ったり、行く事は無いだろうと思っていた事が何十年もかけて再び、という事がたぶん人生には度々起きるんだろうと思う。

今その時に何とも思ってない事でも、何時の日か関わる事になるかも知れない。
だから人との付き合いも場所も大事にせねば。

ーーーーーーーー
よく考えると、6年半前のあの日は、後で唄を唄うことになる場所が2軒もあった所を回っていた日だった。
たまたま2軒も同じ日に行っていたなんて、今考えると本当に不思議だ。
その時には何にも考えてなかったんだけどね。


ただ、その時の自分の感情は「沖縄に沢山触れる事が出来て嬉しいな」、というものでした。
今の処、不吉な感じの予感で再会を果たしている事はないので、二度と会いたくない、行きたくないと思う事には出会わないようになっているようだ。
その辺を考えると自分の無意識の意識も働いているのかも知れない。

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