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2013.03.25

沖縄の星とちっぽけなワタシ

Misakoseijin121205


写真は去年の12月に行った、東京の青山でのライブの時のものです。
先日、沖縄民謡会の重鎮、登川誠仁さんがお亡くなりなりました。


そのことにショックを受けた沖縄の人はものすごく多かったと思います。
内地のテレビや新聞でも取り上げられたくらいだから、全国的な出来事だったのだと思う。

年齢的には80歳と、まだそんなものかと思ったくらいまだまだ行けそうな感じの年だったのに。
それでも私の子どもの頃から有名で活躍されてて、もうずっと以前から「おじい」という感じだったので、もう90歳近いのかと思ってたらそんなでもなくて。
かえすがえすも惜しい人を亡くした、という感じです。


一緒に写っている大城美佐子さんももうすぐ80歳くらいだと思うけど、そんなに年が離れていないのに気付いて、登川誠仁がいかに老けて(?)いたのかと思ってびっくりする感じでした。


この数年、毎年本土にライブに来ていた誠仁さん。
私も5年ほど前から見に行くようになって、今年こそ最後になるかも知れない、今年こそ見納めかも知れないと思い足しげく通っていても去年の暮れまでは元気だったので「あ、なんだまだ行けそうじゃん」と思っていたのですが、、、、、残念。


でもその最後の12月のライブを観に行った事はすごく良かったと思いました。
その時も少し不安なところはあったけど、それでも何となくこの人は不死身なんじゃないかと思って、勝手にまた来年の琉球フェスティバルも来るだろうと思ってました。
でももうそれも去年が最後になってしまった。
本当に去年の琉球フェスティバルも観に行って良かったと思う。
去年は2度も生誠仁(?)を観られて聴けたのだから、幸せでした。


去年から大城美佐子さんとの共演を意識して行っていたようだけど、やはり本人も何か感じる事があったのかも知れないと思います。


登川誠仁も大城美佐子さんも、私の子どもの頃、物心付いた頃から活躍なさっていて、ラジオやテレビで良く唄が流れてました。
祖父が良くラジオの民謡の番組を聴いていたので、私も無意識のうちにいつも聴いていたような気がします。今はその祖父も亡くなっていないけど、とても感謝してます。


生きているうちに三線聴かせてあげたかったよ。


その偉大なる大先輩達に憧れ、いつか同じ場に立ちたいと願い頑張っているのですが、現実はなかなか。一つ乗り越えるとまた一つ、という感じで次から次へと課題が出て来て、その度に自分の実力の無さを思い知らされて、いつになったら満足のいく唄三線が出来るのか、本当に果てしない長い道が続いてて愕然とする日々です。


唄によって「三線は上手いのに唄が駄目」と言われたり、「唄は良いのに三線が良くない」と言われたり、途方にくれるような思いをすることも。
教室では散々ダメ出しをされ毎回へこむような状況が続いてます。


それでも時々人前で唄うと褒められたりお礼を言われたり、先日はお捻りをもらったりして、ちょっとだけ有頂天になる時も。
良く言われるのが「声が良いですね」
それはとても褒め言葉なんだと思うけど、自分で意識した事は無くて、努力して出来た事ではないので言われてもあまり嬉しくないんです。

とても贅沢だと言われるかも知れないけど、頑張って努力して「唄」を褒められるとすごく嬉しいんだけど、今の処唄も全然出来てないと言われてる状態だから、素直に喜べないのです。


なんとか一つ一つ課題をクリアしていって、一曲でもいいから唄も三線も良い、と言われる唄を持ちたいのだけどまだ届かない。


以前に、私も沖縄の先人達のようにいつか沖縄の唄を継いで行く人間になりたいとか偉そうな事を書いたけど、まあまだまだまだまだまだ、、、、、果てしない。
足下にも及ばない感じ。


それでも目の前の事を一つずつやっつけて、その先の遠くの希望を見失わないように頑張らねば。
お星様になった誠仁さんを思いながら。
今の沖縄の民謡会、民謡のあり方を嘆いていた誠仁さん。
また一人本物の民謡を知っている方が亡くなったのは、本当に寂しい。
もう今の時代、あんな天才は出て来ないでしょう。
安らかにお眠り下さい。


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