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2012.05.13

私の母は変っていると思う。
なので母娘関係もたぶん変っていると思う。
母親に対する愛情も、なんて現して良いのか判らない。

もちろん、自分の親だから大事だし、好きではある。
しかし、父親っ子だったので、どちらかというと父親の方が好きで大事だ。

母の日だけど、母に何か贈ろうとか、電話をしてやろうとかいう気も起こらない。
今さら、という感じか。それどころではない。という感じか。


思えば幼い頃、母の胸に抱かれた記憶が全くない。

うちの両親は共働きで、私はずっと祖父母に育てられたようなものだ。
あと近所に住むおばさんたち。


幼稚園や小学校の遠足なども祖父が引率してくれた。
幼い頃、祖父や父と出かけた記憶はあるのだけど、母と出かけた記憶があまりない。


元々無精な人で、仕事をしていたのでさらに普段の食事なども作ってなかった。
祖母が元気な頃は、祖母が作って食べさせてくれていた。
高校生になってからは自分でお弁当を作って持って行った。


たまに作ってくれた母の手料理を今でも良く覚えている。
が、私の妹たちは幼かったのか、そういう記憶が無いという。


ただ、小学校の運動会のお弁当は良く覚えている。
あと、お盆などの行事の時は一生懸命やってたようだ。
それらの行事の時に、母が良く作ったマカロニサラダは今でも良く覚えているし、美味しいと思う。
最近は作ってないようだけど。


母の味、というのは子どもは良く覚えているもので、ほとんど手料理をしなかった母だけど、一度だけ作ってくれたピーマンの肉詰めと、マカロニサラダだけは今でもお袋の味として記憶に残っている。


母親がそんな感じだったので、三人の娘たちは反発して、自分は結婚したら専業主婦になり子どもにきちんと食事を作ってあげよう、と考えたようだ。
もちろん経済的な理由で皆それなりに仕事はしているけど、子ども達が小さい頃は皆家庭にいて、子どもや家庭を大事にしていた。


自分自身が母親にそういう風に大事にされた記憶が無いから、自分の子どもにはきちんとしてあげようと思っていたと思う。


母に料理を教えてもらった事が無いから、私もすぐ下の妹も料理の専門学校に通いたいと思った。
私は行けなかったけど、妹はきちんと調理師の資格を取って今でもそういう仕事をしている。
私は一人で頑張って料理を覚えて、今では妹も私も料理上手なお母さんだと思う。


料理もそうだけど、女の子らしい事を教わった記憶が全くない。
お裁縫とかアイロンがけとかは父親がしていた。


大人になって、自分も子どもを持つようになって、母の気持ちも何となく判って来て、仕事をしながら子育てすることの大変さとか、祖父母と同居していた大変さも判って来て、今は母を責める気持ちは全くないけど、それまでは結構恨んでいた部分もあると思う。


今自分が男の子ばかり持っているので良く判らないけど、女の子のお母さんに聞くと女の子は母親に対して結構厳しいらしい。
自分は女の子がいなくて良かったかも知れない。
全然綺麗好きじゃないし、無精だし、気は利かないし、絶対女の子だったら逆に怒られていたかも知れない。


母を責めた事は無いけど、一番下に弟が生まれて、始めての、只一人の男の子で跡継ぎという事で、それはもう両親や祖父母がうんと可愛がって、母も又その態度の違いに驚いた。
娘達に対する態度とあまりに違うので、そこで初めて母に対する不満が表面的に出て来たかも知れない。


兄弟は幾ら年が離れていても差別を感じると反発するものだと思う。


今でも、兄弟皆40歳を超えてもその差は変らず、未だにその不満が残っている。
ずっと現在進行形の形で差を感じているから。
10代で親元を離れた不肖の娘ではあるけど、親に対する思いと恨みと、その両方で揺れ動く思いがある。


思えば、母親とじっくり会話したことがない。
この頃母の耳が遠くなってきて、何か話しても大声になったり通じなかったりでこっちが癇癪を起こしてしまい、しまいにはけんか腰になるのでいつも会話が疲れる。
もっと優しくしてあげようと思っても、頑固なことと会話が通じないことでつい厳しくしてしまう。


親孝行したい時には親は無し、という言葉もあるから、年に一二度帰った時くらい親孝行して優しくしようと思っても、この頃は色々な問題も抱えてて中々優しくしてあげることができない。


今年の春に帰省して、ある事がきっかけでもう親子の縁を切ってもいいかとさえ考えた。
しかし実際にそんなことは出来ないだろうと思う。


愛情の裏返しの憎しみ。
でもよく考えるとそんな憎むほど愛情も深くなかったかな?と思えば恨みもそんなに深くなさそうだ。


たぶん、愛されなかった訳ではない。
彼女なりに私の事は可愛かったのだろう。
照れくさくて愛情表現も出来なかったのだろう。
私が嫁に行く時に泣いていたというから、それなりの愛情はあったのだろう。

第一、母が生んでくれなかったら今私はここにいない。
それだけでもう感謝は余りある。


少し時間を置いて会えばまた変って来るかもしれない。


いつかは故郷へ帰ろうと思っているけど、その時には母はいないかも知れない。
沖縄に帰って親孝行しようと思っても、その時には出来ないかも知れない。


今出来るのであれば、両親のために食事を作ったり、話をしたりしたいと思う。
せっかく作っても文句しか言わない舅のための食事作りももういい加減飽きた。
大事な自分の親のために食事を作ったあげたい。
年取って増々無精になってオットのためにさえ食事を作らない母の代わりに、父に美味しい物を手作りして食べさせてあげたい。


元気なうちに父に代わって母の故郷へ車で連れて行ってあげたい。


しかし今は出来ない。
いつまでも元気で、と遠くから願う事しか出来無い。


さよならお母さん、また会える日まで。


Sinjin01

後ろに写っているのが母です。


そうそう、唯一この母で良かったなというか、良いところを受け継いでいるなと思う事は、大らかな性格。細かい事を気にしない。
悪く言うとがさつでおおざっぱだけどね。


男の人は大体恐がりだったり痛がりだったりするけど、『「痛い痛い」と言っても痛みが無くなる訳じゃなし。』と言っているのを聞いて、この人すごい!と尊敬しました。
母親ってやっぱ偉大だよね。

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